1870年(明治3年)、政府は皇族・華族に対しお歯黒・引眉禁止令を出す。当初はなかなか徹底されず、3年後皇后が率先して模範を示すことで、ようやく華族の女性たちもお歯黒・引眉をやめることになった。これが庶民にも徐々に波及し、引眉の風習は明治初期には廃れた。しかし、お歯黒の習慣は大正時代まで根強く残った。高齢の女性の中には、昭和に至るまでお歯黒を守り続けた人もいた。

明治時代には、鉛白粉の害が論じられ、1900年には国産の無鉛白粉が発売された。しかし、鉛白粉は伸びや付きに優れたものだったので、害があることが知られていたにもかかわらず、昭和初期まで使われ続けた。

大正時代には、和風の化粧をベースに、西洋の頬紅を使ったり耳元に紅を入れるなどの和洋折衷の化粧が流行った。白だけだった白粉も、ベージュや赤みを帯びたものも使われるようになった。

本格的に西洋風の化粧が行われたのは、関東大震災後のことだった。モダンガール(モガ)と言われた一部の女性たちの間に、アイシャドウや唇全体に塗った口紅といった化粧が行われ、断髪や足の出るスカートといったいでだちとともに、保守的な人々の非難の的となった。